本物 【教育者・相川勝治】古写真◆本間俊平の洗礼を受けた犯罪者◆台紙肖像◆昔人物警察明治大正昭和戦前戦後アンティークレトロ北海道山口長州

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カテゴリアンティーク、コレクション印刷物その他状態傷や汚れあり(詳細)◆相川勝治大分県生まれ。現役の警部でありながら強盗36回、傷害11回、窃盗490余回、入獄8回通算16年8か月、脱獄2回と、極悪な犯罪を繰り返し、最後に収監された大阪監獄を出獄。その後、山口県秋吉村で大理石採掘を行いながら出獄人更生事業に身を捧げていたクリスチャンの本間俊平に預けられる。本間俊平と妻の生き方に感銘し洗礼を受け、自らも出獄者の保護事業に取り組む決意をする。本間俊平らの庇護をうけて大阪で「博愛職工学会」という組織を起ち上げ、出獄者達の更生と社会復帰を目的に運営。その後、北海道佐呂間に移り、富武士の北向きの荒野を開墾し農場経営を目指した。事務所兼住居は「相川御殿」と呼ばれ、ピアノが置かれた礼拝堂と、奥には熊皮が敷かれた仏間があった。妾と本妻とが同居し、従事者の逃亡を防ぐためか腰縄を着けて移動、本人の粗暴な行動など、クリスチャンらしからぬ話ばかりで、評判はすこぶる悪く、当時、「殿様勝治」という相川勝治を描いた講談雑誌が発刊され、詳しい前歴など書かれていたという。大正11年、60歳で死去。まもなくして「相川御殿」も火事で焼失、学会はその数年後に解散、土地は売り払われ親族や入植者の多くはこの地から去って行った。相川御殿から100メートルほど傾斜を上り幹線道路を越えた地所に富武士神社があり、その横の畑の真ん中に、1本の蝦夷松が伐り倒されずに残されているが、この樹が勝治の墓標だという。
◆本間俊平1873年(明治6年)8月15日生まれ。日本の社会事業家、信徒伝道者。山口県の秋吉台(現・美祢市)の大理石採掘場で、不良少年を含む青少年と共同生活を送りながら若者たちの感化(育成事業)に携わり「秋吉台の聖者」と呼ばれた。今日における山口県の主要産業の一つである大理石産業を興した一人としても知られる。1887年(明治20年)に福島県の大工の弟子になる。1891年(明治24年)に松島で、押川方義、植村正久、原田助のキリスト教を講演を聞き、他の大工衆と共に講演を妨害をするも、原田助が「自分たちは殺されても、諸君を不安恐怖の火の中から救い出そうとされた主イエス・キリストの流し給える血を証明せねばならない」との必死の訴えに心打たれる。1893年(明治26年)北海道庁に勤務、札幌師範学校改築に従事し、両親を呼ぶ。しかし仕事仲間からの中傷で失職、青森から東京まで徒歩にて移動。1894年(明治27年)には東京の大倉土木組に勤務する。日清戦争の兵倉設営に朝鮮に派遣され、翌年、帰って来たとき、ご両親の悲運の最後を知り、深い悲しみの中、葬儀をすませる。1896年(明治29年)に遠藤孫一の娘ツキと結婚する。土木組の幹部奥江清之助からキリスト教の感化を受ける。1897年(明治30年)11月7日に24歳で、東京霊南坂教会で留岡幸助より洗礼を受ける。1899年(明治32年)中田重治がきよめ派の人たちの交流会の聖潔の友を結成した際には、メンバーに加わる。1900年(明治33年)東宮御所(現:赤坂迎賓館)御造営局に奉職する。1902年(明治30年)に東宮御所造営のために山口県の大理石山を視察する。1902年(明治35年)国会議事堂建設の内装に使う大理石の調査に秋吉の地に赴いた本間は、山の所有者であった小川資源にせがまれて官庁をやめ、山口県美祢郡秋吉村で長門大理石採掘所を開いた。伊藤博文と下関の春帆楼上で会見したとき、「朝鮮総督府に出てみないか」と誘われ、本間は「公爵閣下、私が総督府に出仕すれば、今私が託せられている可哀想な青年たちを、閣下は私に代って其の感化がして頂けますか。」と言い、伊藤は「本間君は偉い、本間君は偉い。」と言われた。本間は内村鑑三の友人でもあり。内村の娘ルツ子が1912年(明治45年)1月12日に死去した際に、自分が所有する秋吉の石山より大理石を採掘して、墓石に加工して内村の娘の墓石用に寄贈した。1940年(昭和15年)玉川学園の小原國芳の要請を受け、興亜工業大学(現・千葉工業大学)の創立に参加、設立趣意書の執筆と教育に従事する。1948年(昭和23年)永眠。後に彼は、秋吉の聖者と呼ばれた。森外は本間の生き方に感動し「鎚一下」と題する小論を残している。本間のアドバイスと支援(本間が広岡浅子(テレビドラマ 『あさが来た』のモデル)から寄付を受けた五十万円(今の価値で約20億円)がもととなり、現在の成城学園の基礎が形作られた。玉川学園の創設者小原國芳にも影響を与えた。本間の仁徳の深さから初代内閣総理大臣伊藤博文は、朝鮮総督として彼を任命しようと考えていたともいわれている。長崎県のある旧制中学校で起きた学生の退学処分を巡る事件の際には、本間の人柄を見込んだその学校の関係者が本間に手紙を書き送ったとされる。この際、本間は校長宛に「九九匹の羊も大切だが、迷える一匹をも救うのが教育ではないか。かねて、どんな教育をしていたのか。校長の本分は十分だったか」という諌めの手紙を送ったとされる。これを見た校長はしばらく考え直し「むう、退学は取り消しだ。おれが悪かった」と自らの教育に愛が足らなかったことを学生に心から詫びたという。これを見た生徒も自らが犯したことを心から反省し、校長と生徒達の間には師弟同行の精神が芽生え、心を一つにしたというエピソードが残されている。

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